2026.5.24「いつでも祈るべき」ルカ18:1-8

この箇所は前章から続いており、「神の国はすでに始まっており、終わりの日に神のご支配が完成する」という中で私たち神のご支配を待ち望みながら生きる者として、祈り続けるよう招かれています。

イエス様はその教えのために、一つのたとえ話を語られました。「神を恐れず、人を人とも思わない裁判官」と「何度も訴える一人のやもめ」の話です。裁判官は取り合いませんでしたが、あきらめずに訴え続けたのです。そして「このままではうるさくてたまらない」と考え、しぶしぶ裁判を行います。イエス様はここで、「まして神様はどうだろうか」と語られるのです。正しく愛に満ちた神様が、昼も夜も祈り求める者たちの声を聞かれないはずがない、ということです。

もちろん、祈った通りにすぐ実現するとは限りませんが、神様は私たちの願いをはるかに超えて、最も良い道を備えてくださいます。だからこそ、どんな苦しみや試練の中でも、失望せず祈り続けることが求められているのです。しかし簡単なことではありません。

イエス様は最後に、「人の子が来るとき、地上に信仰が見られるだろうか」と語られましたが、これは、再臨が遅いように思えても失望することなく、神様の救いと正しい裁きを信じて祈り続けるようにとの招きです。信仰とは、神様を信頼し、祈り続けることなのです。

私たちは弱く、困難の中で祈る力を失ってしまうことがあります。しかし聖霊なる神様が私たちを支え、言葉にならない呻きをもって執り成してくださいます。だからこそ、十字架と復活によってすでに始まっている神のご支配を信じ、主の再び来られる日を待ち望みながら、失望せず、忍耐強く、聖霊に励まされつつ、祈り続けてまいりましょう。