2026.5.17「人の子の日」ルカ17:22-37

前回の箇所でイエス様は、神の国について「あなたがたのただ中にある」と語られました。神の国とは目に見える場所ではなく、イエス様のご支配そのものです。そしてこの箇所では、その神の国が完成する、人の子の日=再臨について教えられます。弟子たちに、「あそこだ、ここだ」という声に惑わされないよう警告されます。再臨は隠れて起こるのではなく、稲妻のように誰の目にも明らかに現れるからです。つまり大切なのは、「主は必ず来られる」という約束を信じて歩むことです。しかしその前に、イエス様は苦しみを受け、人々に捨てられなければなりませんでした。十字架の贖いが神の国完成の土台だということです。

さらにイエス様は、「人の子の日」はノアやロトの時代と同じだと語られました。人々は食べたり飲んだり、普段通りの生活を送っていましたが、神様の警告を聞こうとせず、日常だけに心を奪われていたのです。問題は神様を忘れ、この世だけを頼りにしていたことでした。

これは私たちへの警告でもあります。忙しい毎日の中で、主を見失い、この世への執着に支配されてしまう危険があるのです。ロトの妻が後ろを振り返ったように、私たちもまた、自分の生活や安心に心を縛られやすい者です。しかしイエス様は、「自分のいのちを救おうとする者は失い、それを失う者はいのちを保つ」と語られました。自分中心に生きるのではなく、人生を主に委ねるところに、本当のいのちがあるのです。

私たちは神の国のただ中にあることを大切にしつつ、やがて来られる主を待ち望む者です。日々の生活に感謝しつつも、十字架の主を見上げて歩み、主への信頼を第一とし神の国の完成の希望を胸に共に歩んでまいりましょう。